生きる意味はどんな人でも見つけられる!そのために必要な「ある事」とは?
こんにちは、月也です。
「生きる意味」
というものを時々考えてしまう時ってありますよね。
なんかそういう話をしだすと哲学的になってくるんですが笑
「なんで自分はこんな風に生きてるんだろう・・・」
「なんで自分は自分なんだろう・・・」
とか、色々と考えてしまう時があると思います。
生きる意味というものを見失ってしまって、
自分の人生自体に絶望してしまう人もいるかもしれません。
生きる意味を見いだせていないと、
常に暗中模索に過ごすような感じになってしまって
なんか心がモヤモヤしてしまったりしますよね。
今って心を病んでしまう人が多いですが、
その多くは”そこ”に理由があるんじゃないかなと
個人的には強く感じています。
自分の存在意義がわからなくなる。
つまり「生きる意味を見失ってしまう」ということですね。
そして生きる意味が明確になっていることで、
毎日に「ハリが出る」という面は間違いなくあります。
毎日の生活に「軸」ができて、それに沿って生きることが出来る。
そこを心のよりどころにできるイメージですね。
「自分にはこれがあるんだ!!」
という風に。
嫌なことがあったとしても、
凹むようなことがあったとしても、
生きる意味というものをちゃんと自分の中に見いだせていれば
それらを吹き飛ばすことができるようになります。
生きる意味があることで毎日は生き生きしだす
これはなんとなくイメージできると思うんです。
目次
生きる意味をどう見出すか?
ただここで問題になってくるのが、
「生きる意味を見出すにはどうすればいいのか?」
ということですよね。
なかなか生きる意味、生きている意味をしっかり持ってる人なんて
そうそういないと思うので。
そこで今回の記事では、
「生きる意味を自分の中に見出す方法」
ということで書いていきたいと思います。
難しく考えなくても、
実は「自分の中に眠っていたりするんです」
それに気づけるか気づけないかで、
生き方そのものも大きく変わってきますね。
たまたま生きる意味を見つけられる人はかなり稀
まれに、自然と生きる意味を見いだせる人もいます。
例えばスポーツ選手がそうだと思うんです。
たまたまあるスポーツをやってみて、
それが自分には相性が良くて熱中し、
そのスポーツをやること自体が生きる意味となっていく。
プロ選手なんかはそういう人多いんじゃないかなって思うんですが。
そういう人は本当にラッキーですよね。
正直、羨ましさすら感じます。
だって普通は、普通に毎日を送っているだけだと
生きる意味なんてそうそう見つけることって出来ないから。
これはスポーツ以外でもそうで、
「たまたま文章を書いてみたら自分は文章を書く才能があることに気が付いて、
そこから作家への道を歩み出した。」
「たまたま学校で劇をやったときに演劇の面白さに気が付いて、
演技を習うようになり演者への道を志した。」
「たまたま歌を歌った時にみんなに褒めてもらえて、
そこから自分の歌に自信を持ち歌手を志した。」
多くの場合、生きる意味を見つけられる人は”たまたま”な場合が多いんですよね。
大企業の御曹司とか、生きる意味を生まれた直後から決定づけられている人も
中に入るかもしれませんが、多くはそうではない。
「偶然に見つけられている」
ということなんです。
だからぶっちゃけ、
生きる意味を明確にできている人なんてほとんどいない
ということなんですよね。
たまたま生きる意味だと思えるほどに出会える人は
そうはいないから。
生きている中で家族ができてきたりすると、
家族が生きる意味となることもありますけどね。
生きる意味の見出し方
生きる意味を見出すには、
「自分にとって大切なものは何だろうか?」
ということを考えてみるのが大切です。
「家族が大事」なのだとしたら、
家族が安全に暮らせるように仕事を頑張るとか。
「楽しむこと」が大切だなと感じるのなら、
まずは趣味を探すために色々なことに挑戦してみるとか。
「何かを努力すること」が好きだなと感じるのなら、
筋トレに励んでみるなど。
そういう風に
「自分にとって大切なもの」
から逆算していくことで”生きる意味”となりえるくらい
自分にとって大切なことを見つけることができますよね。
自分の体験から生きる意味を見出す
自分にとって大切なものが思いつかない場合は、
「自分の過去の体験」を振り返ってみることで
自分のやりたいこと、やるべきこと、生きる意味を見つけることができます。
ここで少し僕自身の話をさせていただきたいんですが、
少なくともこのブログで何百回と言っていることなんですけど笑
僕は「吃音症(きつおんしょう)」という言語障害を
物心ついたときから抱えて生きてきました。
そのせいで不当な扱いも散々受けてきたし、
まともに生きることすらも正直難しかったんです。
僕の場合は症状がかなり重度な方だったので、
仕事することすらもままなりませんでした。
そうやって吃音を抱えて生きてきて、
自分の中である気づきというのがありました。
何かというと、
「世間はあまりにも吃音に対する理解が無さ過ぎる」
ということでした。
吃音、どもりといった言葉自体は知っていても、
その症状、深刻さを理解している人が誰一人いなかった。
そのせいで「ただどもるだけでしょ?」と軽く見られて、
僕自身何度心を叩きのめされたか覚えてないですよね。
この前こんなツイートをしたんですけど、
世の中に対して不満とかは誰でも持ってると思うけど、そこにこそ
「人生をかけてやるべきこと」
が眠ってるのかなと感じる。
それがネガティブな方に働いてしまったのがいわゆる「犯罪者」ですね。
— 月也 (@tsukiyas_a) 2018年6月26日
僕だったら、「吃音に対する理解が無い」ということで散々絶望を味わってきたわけですが、
だったら、
「自分がその理解を広めればいいんじゃね??」
みたいな感じですね笑— 月也 (@tsukiyas_a) 2018年6月26日
「世間に吃音への理解が無いのなら、自分を理解を広めればいいんじゃないか」
ある時、そんな発想が自分の中に生まれたんですよね。
それは多少人が集まるブログという媒体を持っていて、
吃音に散々痛めつけられてきた俺にしかできないことなんじゃないかと。
そう感じるようになったんです。
実は芸能人に吃音者って多いんですよ。
今もテレビに多く出ている人で、
実は吃音持ちというケースはあります。
でも外に向けて吃音について発信してる芸能人って、
僕が知る限りいないんです。
だったら、それは俺がやるべきことなんじゃないかなと。
まさに、生きる意味ですね。
そういう風に、
自分が感じてきた不満
自分が体験してきた辛い出来事
などから、生きる意味を見出すことが出来るんです。
その体験をしてきたことでしか言えないことが絶対にあるから。
生きる意味と宗教について
宗教を信じている人は多いですが、
僕が宗教に懐疑的に感じている部分が
「人から与えられたもの」
だからなんですよね。
宗教って”誰か”が作り出したものなわけじゃないですか。
その”誰か”というのは、
当然ながら自分とは生きた時代も違えば
価値観もやっぱり自分とは違うわけです。
そんな誰かが作り出した宗教を自分の「生きる指針」にして、
それに沿って生きていくのは少し違うんじゃないかなと個人的には感じています。
自分の中から生きる意味を見出した方が、
より全力で頑張れるようになるんじゃないかなって感じますね。
生きる意味は自分の中から見いだせる
学校や会社に行き来しているだけだとどうしても
生きている意味というのを見失ってしまいがちです。
それで生きていること自体に絶望してしまって、
無気力になってしまったり、
自ら命を絶ってしまうような人もいる。
でも生きる意味、生きている理由を見つけることができれば、
そこに向かって一直線に頑張ることができるようになるし、
やるべきことが見えることで毎日を明確に生きられるようになるんですね。
まあつまり、「毎日にハリが出てくる」ということです。
変に迷ったりしなくなる。
そしてその生きる意味というのは、
自分の中から見出すことが絶対にできます。
マイナスな体験があるような人なら、
そこから見つけ出すことが出来る。
自分にしかできないことというのは
どんな人にでもあると僕は信じているので、
自分を無暗に卑下したりしない方が良いですね。
あなたを必要している人などは絶対にいるから。
それでは、ありがとうございました!
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